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自分の経験からたどり着いたオリジナル “美”スタイル

エイコ整体 小粥 詠子 さん




器械体操と新体操に打ち込む青春期


「整体師としてご活躍ですが、拠点は最初から現在の場所ですか?」


現在のお店を立ち上げる前は自宅で活動していまして、その時にご紹介いただいたお客様の中で出張をご希望の方がいらっしゃったので出張をお受けしていましたが、今はお店中心で活動しています。


「ご出身は浜松ですか?」


浜松です。父の仕事の関係で2年ごとに引っ越していて、久留米、長野、群馬そして小学校3年に上がるタイミングで実家のある浜松に戻ってきて、父が単身赴任になりました。そこから高校卒業まではずっと浜松にいました。


「お父様のお話がでましたが、ご職業は何だったんですか?」


自衛官です。陸上なので浜松にはなくて転勤が多かったのもそのためです。


「小学校3年生で浜松に戻られましたが、現在の地元の小学校だったんですか?」


そうです、曳馬小学校で今の地元です。

小中と曳馬で、高校は新体操部のある学校へ進学しました。


「新体操はいつ始められたんですか?」


中学からです。小学校の時に器械体操をやっていてその流れですね。


「器械体操を始めるきっかけは何だったんですか?」


担任の先生がすごく素敵な女性の方で好きな先生でした。

その先生が器械体操部の顧問だったのでその流れです。別に体が柔らかい訳でもなく、

興味があった訳でもなかったので、先生の影響は大きいですね。


「器械体操というとどんな種目になるんですか?」


マット、鉄棒、跳び箱です。試合もあったりして出場しましたが、

跳び箱で顔面から落ちたこともあります(笑)


「器械体操から新体操にいったきっかけは何ですか?」


中学に入った時に器械体操部が無くて新体操部はあったので入りました。

新体操部があるのは今となっては珍しいかもしれませんがその当時はまだありました。

でも私たちの代でなくなりましたね(笑)

高校の時も私たちの次の代で無くなってしまいました。

やっぱり需要も少ないからか、教えられる先生もいないので。

高校の時は1年生の時は女性の顧問の先生がついてくれましたが

2年生からは一応男性の先生がついてくれているんですけれど、

ほぼ自分たちだけで練習して活動していました。


「器械体操から新体操へ変わりましたが、他の部活の選択肢はありましたか?」


中学の時は他の部活への興味は一切なくて体操をやる!って決めて入りました。

高校の時は少し他の部活も気になって陸上の高飛びがかっこいいなと思うことも

ありましたが新体操にしました。


「スポーツはお好きだったんですか?」


好きですね。嫌いだと思ったことはなくて、苦手なのは球技と長距離かな(笑)

健康優良児を狙っていまして皆勤賞を狙っていたんですけど、

4年生の時にその前に何日か休んでる事実が発覚して夢が破れました(笑)


「今日もお会いした時にすらっとしてスタイルが抜群だなと感じましたが小さいころから背は高かったのですか?」


小学校の時はそんなに低い方ではなくて5、6年の時に後ろから数えた方が早くなって。

最後にグッと伸びたのは高校生の時です。高校生の時には今くらいありました。


「なるほど。身長が新体操で有利になることはありますか?」


やっぱり大きくダイナミックに見えますよね。

そのかわり、小さな箇所、肘が曲がっているとかが目立ちますね。

体を上手に使えていれば綺麗にみえますけど、その反対もあります。



モデルへの夢と憧れを抱いて 東京での新しい日々


「高校を卒業してからのお話を聞かせていただいて良いですか?」


高校から一度東京の恵比寿にある服飾系の専門学校へ行ってモデル事務所に所属することになりました。

安室ちゃん全盛期の時でした(笑)


「もともとモデルになろうと思っていたのですか?」


そうですね。思ってはいましたが、半分ノリのような感じでした。

高校3年生になって就職も考えてなくて、進学するわけでもなくて身長が高かったので、周りからモデルでもやればいいじゃんなんて言われて。

楽しそうだなと興味が湧き始めた時に同じクラスの子にモデル志望の子がいて一緒に上京することにしました。

私が通っていた専門学校は服飾系ですけど、モデルの養成もやっていてそのコースに入って1年通いました。


「具体的にどのようなことを学んだんですか?」


ウォーキングはもちろん、メイクや撮影、食事関連で栄養のことなど、結構幅広く勉強しました。


「卒業された後はどうしたんですか?」


オーディションを受けて事務所に所属になりました。


「オーディションは狭き門のように感じますが、実際どうでしたか?」


卒業の時にモデル事務所の方が学校に来てくれて、そこでのオーディションを突破できれば所属できます。実際、卒業オーディションで残念な結果になる人もいますが私は運良く合格できました。


「事務所に所属になったわけですが、そこからお仕事はどうやってゲットしていくのですか?」


オーディションです。第一審査の写真は事務所が出してくれるんですけど、通ったらオーディションを受ける権利をいただけるんですけど、そこでゲットしていかないとお仕事がないんです。事務所には所属はしていますけど、モデルで仕事をできるかどうかは別で、日々オーディションでした。夕方事務所に電話をして明日オーディションがあるかどうか聞いて情報をもらって次の日に会場に行くといった感じですね。


「一番最初にモデルとしてお仕事をしたのは、どのような内容だったんですか?」


撮影系のお仕事だったと思います。あまり覚えてなくて(笑)

きっちりとやって覚えているのはリクルートスーツの撮影です。

スーツを着て、恵比寿ガーデンプレイスでカメラマンさんに撮影してもらいました。


「その後は順調に入ってきましたか?」


順調とはいえないですね。モデルの仕事もやってないことはないですが、生活ができるほどではなかったです。雑誌とかCMとかキャンペーンガールなどの定期的なお仕事は定期的にお給料が入りますが、単発の仕事だとその日で終わってしまうので。

2年くらいはモデル一本でしたが、その後はドトールでバイトしながら続けていました。

モデルさんはバイトをしながら活動する方が比較的多いですよ。

摂食障害になったのもあって、生活のリズムを維持するためにもバイトは入れていました。




モデル時代の詠子さん




作り込む「美」への執着と

「見えない敵」との闘い


「摂食障害というお話が出てきましたが、いつくらいになったのですか?」


専門学校の時からです。高校生くらいまでダイエットをしてこなかったんですよ。

体質的に太りにくかったし、そんなに執着してなかったんですね。

背もあったので痩せなきゃいけないということも思わなくて、高校生の時に部活で「少し体重を落とそうか」と言われた時もやり方が分からないくらいでした。

でもモデルになった時に視野が変わって、ある程度スタイルがよくなきゃいけなくて、周りもモデルになろうと思っている子たちばかりで意識も高いので。

痩せなきゃと思った時に、どうしても食べたい気持ちを抑えてしまってそうするとどんどん反発する気持ちも大きくなってくるんです。

そんな時友達から「食べたら吐けばいいのに」と言われて、そこからですね。

東京は美味しそうなお店も多いし、抑圧されているのもあるし、そういった流れでずるずるといった感じです。

卒業してから1人暮らしが始まって一気にひどくなりました。


「食べたい欲求とモデルとしてというプレッシャーからストレスになってしまったんですね。一度そうなると繰り返してしまうものなんですか?」


そうですね。依存症なので。


「どれくらいの期間そういった状態だったんですか?」


症状が出なくなるまで、トータル12年です。

症状が落ち着いたのは整体に出会ってからです。


「かなり長い期間だと思いますが、その間体調はどうでしたか?」


悪かったですね。モデルをやめたのも撮影時に自分の不健康さを自覚したからです。

私の20代は食べ物だったといってもいいくらいです。

症状が出ない時期もありましたが、ほぼほぼトータルで12年ですね。


「症状が出て繰り返してしまってということが続いた時に、どんな気持ちだったんですか?」


罪悪感は常にありました。

食べるけどおいしいと感じるのは最初のちょっとだけで、あとは欲求を満たすためにひたすら詰め込む感じでした。

頻度的には1週間何もない時もあれば毎日という時もあって


「その衝動はあるとき突然やって来る感じですか?」


抑えるための生活が続くといった感じです。症状が出て欲しくないから、自分で自分を誤魔化す感じです。そうなりたくない自分もいるので、遊びに行ったりとか気分を変えてみたりしても結局心地良くないし、でもそのままでいたくなくて。

初めの2年くらいは、自分でコントロールできなくなってしまっていることを誰にも話せなくて。

姉に久しぶりに会った時「ガンジーみたいだね」と言われた時に泣きながら正直に話しました。そこから姉が良き理解者になってくれました。パンが好きだったのでパン断ちを一緒にしてくれたりしました。


「症状が出ている時は体重の増減はあるんですか?」


そうですね。症状が落ち着いている時はいいんですけど、症状が出ている時も波はありますね。その頃は1キロ2キロに捉われているので、その頃から今まで健康診断以外で体重計に乗らないです。数字に対して敏感になっていましたし1キロ2キロで左右されてしまう自分がいるのも分かっていたので。太ったからダメとか痩せたから安心という気持ちが嫌で乗らないようにしました。

モデルをやっていた時、目の下にクマができていて。

当たり前ですよね、吐いてたりしたら体に悪いですよね。


「モデルは痩せていることもそうですが、健康的な面も必要なんですね。」


そこも分かっていたので、続けているのが苦しかったのでやめました。


「切り替えは、未練はなかったんですか?」


接客業に興味が出ていたのであまりなかったです。

それと行くと仕事があるということが嬉しくて。モデルの時は日々仕事を取らないといけないので。バイト先で一緒に働いていたメンバーもみんな仲良くて。

良い人たちと巡り合えて楽しかったです。

ドトールの仕事は意外と向いていたみたいで、リーダーにもなりましたし、正社員のオファーもいただきました。

その後は一度浜松に帰ってきて一年ほど過ごしてまた東京に戻ったりしながらやっぱり浜松に戻ってきました。


「東京にいた時は止まっていたんですか?」


ちょうどその時、姉の結婚式があってお祝いをしたいという思いで症状が止まったんです。海外での挙式だったんですけれども、そういった環境で衝動が出ても嫌だし、何よりも姉の結婚式で苦しんでる自分でいたくないという思いが強くて、止まったんですね。

それから止まった、止められたという状態になったんです。


「なるほど。浜松に戻って働いていたお店はどれくらいいたのですか?」


半年くらいです。憧れていたフレンチのお店で働いたのですが、複数のお皿を持てずに断念して、その時半年くらい治っていた症状がまた復活してしまって。


「その後はお仕事はどうされたんですか?」


その後アパレル系にいこうと思ってジーンズが好きだったので3年間ジーンズショップの店長を務めました。

そこはワンフロアに三社入るという今までに見たこともないような形態で、もちろんお給料の出どころも違いますし違う会社の人たちがワンフロアで接客をするので難しさもありました。充実はしていて勉強はさせていただいたんですけれど、ずっと続けていくかどうかは考えていましたね。仕事内容は接客が主で、接客して裾上げまでやっていました。ミシンは特訓してもらいました。

仕事自体は楽しかったですね。この時も摂食障害は進行中でした。

この時の私は仕事に行くか、食べてるか、吐くか、寝ているかでした。

一度スイッチが入ると止められないんです。


「スイッチが入るタイミングは?」


嫌なことがあった時はもちろんひどいですが、ストレスが関係しているかは別です。

食べている間は何も余分なことを考えなくていいんです。私の生活は摂食障害を克服するための生活になっていました。

その時の私の仕事に対してのスタンスは、整体に出会う前までは、仕事は結婚するまでのものというスタンスでした。結婚していないから仕事をする。だったら好きなことやった方がいいよねという感じでそれまでは仕事の選択をしてきました。自分の生活を仕事によって正せるのが目的で仕事をしていた面もあります。

友達と楽しくお食事をしている時に急に入ることもあって、はっきりと「こういう時」というのは分かってなかったです。


「いつ入るか分からないんですね?」


そうですね。食べ過ぎたと少しでも思ってしまうとダメです。

意識してしまうと入ってしまいます。例えばお友達とケーキを食べて少しでも意識してしまうとスイッチが入ってしまいます。そうすると、いかにこの場から早く帰るかを考えてしまうんです。1人になりたいと思ってしまうんです。早くしないと今食べたものが吸収されてしまうと思ってしまうんです。早く帰りたいんですけど、友達にも悟られたくないし、楽しい雰囲気を壊したくないので。


「いつくるか分からないって怖いですよね?」


本当に嫌でしたね。自分でコントロールができないので辛かったです。

一気にくる食欲を抑え込むとその反動で爆発してしまうのででも抑えないと食べちゃう、

でも食べたくない、どうすればいいの?????

だから食べなくて良い日が幸せでした。



新しい出会い そこから導き出す自分の道


「その後、師匠との出会いになるわけですが、きっかけは何だったんですか?」


プライベートでも仲の良い尊敬する先輩の知り合いだったんです。

その方は人に感動を与えられるようなお仕事をされている方で私もこういう風になりたいなと憧れていました。その方にいろいろと仕事の相談などをしている時に師匠のところに連れて行ってくれたのがきっかけです。一緒に行ったんですけど、なぜか私が整体を学びたいみたいな話になっていて(笑)

師匠は私がやる気で来ると思っていたんですけど、私はよく分かっていないまま行ったんです。


「それが初めての出会いだったんですね。」


そうですね。先輩が行くから行ってみようみたいな感じです。

整体自体もそれまで受けたことがなかったし興味もあまりありませんでしたね。


「行ってどうでしたか?」


師匠から御光がさしているように見えたんです(笑)。施術を受けていろいろお話を聞きました。でもこれを仕事にしようとは思っていなくて。終わって車に乗ろうと思った時に、すごく足が軽かったんです。その時はアパレルの仕事をしている時だったので一日立ち仕事でいつも足は疲れていたんです。直接揉み解すマッサージのような事はしていないのになぜか足が軽い。それに加えて胃も楽になってすーっと通るような感じだったんです。これなんだろうと思って。この感じは知りたいと思って、その後自分1人で行って、師匠にいろいろ聞きました。股関節のことだったり、姿勢が良くなったからだよと教えてもらって。整体でこんなに楽になったんだと気がつきました。肩こりも楽になりました。その時に、摂食障害になった経験も踏まえて活かせるかもしれないと思いました。

摂食障害になって、でも治ってないし、立ち直りたいと思って日々模索を続けてきて、病院にも行った事もありますし、ケアしたい人間になりたいと思うこともあって。これだったら同じような経験の人を楽にしてあげられるかもしれないし、今まで経験したことも無駄にならないかもしれないと感じました。裾上げをしていた時に左右の足の長さが違う方もいて、あまりみなさん気にしてはいませんがその時に「股関節だ!」と思って、その時にやってた事とリンクしたんです。それから師匠に真剣に考えてきますと伝えて、他の整体も2件くらい行ってみました。いろいろ調べたりもして、柔道整復士という資格をとれる専門学校があって、それだけが唯一国家資格で、それだったら一緒に学べる仲間もいるし2年なんです。師匠のところは3年で金額も変わらなくて。一ヶ月くらいかけて考えたんですが、私は整体自体をやりたいわけじゃないことに気がつきました。師匠の持っている技術を習得したいと思って、親と一緒にお願いしにいきました。それからは健康サロンでマッサージを短期集中で取得して働きながら、師匠のところで整体技術を学びました。


「学んでいる最中はいかがでしたか?」


楽しいとは言えないですが、私にとってはとても大事な時期になりました。摂食障害もまだありましたし、だけどそこに通うことで体のことを考えてパン食だった私があえてご飯に切り替えたんですよ。体をつくるために。師匠にあった時に自分の体が楽になったのと、お尻のラインが上がったんですよ!それが、股関節の歪みが整うことで筋肉バランスが良くなるからだと実感し、さらに整体へのめり込みました。。整体で体を整えることは、女性にとっては美容なんだよと言われた時に初めて自分の体を思いやることを知ったんです。今まで綺麗は私の中で作り込むものだと思っていましたが、内側を整えることによって欲しかった綺麗が手に入ることに気がつかされました。健康を害した私だからこそ余計に実感できましたし、そのありがたみも知りました。

健康であることよりも痩せていることが何よりも一番だったのが、師匠に出会った時に無理に痩せなくても綺麗ってこういうことだよねっということを体感できて魅力を感じました。健康を害した私だからこそ、発信したい、自分がそれを失って辛かったからそういう綺麗でいたいということに執着していた分、発信することができると思いました。確信はなかったですが、可能性を感じました。

食事も見直して、健康サロンで働きながら次第に筋肉もついてきました。それまでは食事をしないで痩せる方法だったので、筋肉をつけることもしませんでした。だから疲れやすくて貧血、だるい、心が不安定という状態が少しずつ変わっていきました。

痩せてなきゃいけないということばかりで、疲れやすい、体力をつけなきゃいけないという視点が今まで無かったんだということに整体に出会って初めて気がつきました。摂食障害をなんとかしなきゃいけないということばかり考え過ぎて自分がやりたいことができない体でいたことに気がつきました。

学んでいく間に気がついていって、それが実感に変わっていったんです。興味もどんどん湧いてきて自分で変わっているのが分かったんです。最初はなんでそうなるかとかは分からないですけど、変われる可能性、理屈は分からないけど、自分にとっての心地良い美しさ、求めているものがそこにあると何となく思っていました。


「本当に欲しかったものが師匠との出会いで見えたんですね?」


そうですね。大事な部分に気づけて、自分自身今までどうなっていたんだろうって思いました。摂食障害のこともあって、ずっと恐怖心と戦っていたのもあってようやく安心材料が見つかった感じがしました。ずっともがいていたところに可能性が見つかってそこに飛びついた感じです。


「なるほど、その可能性というのは、詠子さんご自身の中から出てきたものだと感じました。」


そういう感じだと思います。言葉には正直なかなか表せないですけど、こうやってお話ししていて自分で見えてくることもあって、その時ははっきりと分かっていたわけではなかったのですが、何かそこに自分が求めているものがあって私が人の役に立てるかもしれないし、何よりも自分が楽になれました。ダイエットがきっかけで摂食障害になってしまいましたが、もっと自分を大切にしながら、しかもいろいろ楽しめる方法がここにあったじゃんという感じです。

一つ分かったのは、自分を痛めつけた美しさの先には何もないよということですね(笑)


「こうなりたいというものが潜在的にあったのかもしれませんね。」


ただ、そこに気づくまでに少し時間が掛かってしまったのではないかと思います。


「気づけない方もいらっしゃると思いますよ。」


そうですね。私はタイミング的にご縁で師匠と出会えたし、モデルをやっていたりジーンズショップで働いていたからこそ体の変化に敏感になれたのもあると思います。足の長さが違う、そういう視点をもっていたのも整体に対して魅力を感じたのが強く出たと思います。綺麗でいることにも執着していたし、健康を害してでも歪んだ綺麗に執着していたので、健康的になって綺麗があるよというものが分かって。言われてみれば求めていたものですが、それが何なのかも分かっていなかったので。

でも私にとって大切なものがここにあるということは確信できました。


「さきほどお仕事をする際に感動を与えたいとおっしゃっていたのが印象的ですが」


そうですね。ワクワクというか自分の接客やサービスでワクワクする人がそこにいること、自分との関係性でその人がワクワクするってすごいことだなと。その中でも、自分のコンプレックスが少しでも解消されると、女性は自然と前向きになれます。やりたいことへの一歩に繋がるんです。女性は髪の毛などの要素でも、きれいにまとまったりすれば気分が良くなったりするように、見た目に出てくることが多いと思います。元気になれたり、楽しめる、ワクワクするお手伝いがしたくて、整体に出会って、自分も悩んでいたことを根本から解決できる、そしてそれを提供できる、そう考えたらとても楽しいなと思って始めました。



たどりついた本当の「美」と自分らしい生き方


「今までお話しを伺ってきて、詠子さんでなくてはできないことですね。最初モデルと整体がどうしてもつながらなかったのですが

いろいろな経験があってのお話しを伺ってようやく結びつきました。」


そうなんです。そういう意味では新体操もつながってきます。まず姿勢から入るのが新体操で中心軸を知っていたんです。一般の方はあまり馴染みがないかもしれませんね。私自身も足の長さが違っていました。原因は新体操の時に右足ばかり上げていたんです。開脚する時に180度以上広げるのはご存知かと思いますが、原理としては亜脱臼させるんです。

筋肉があるので戻す力があるんですが、そこから筋肉を付けなかったので、ずれやすくなったんです。

それも整体師になってから分かったことです。もう少し筋肉を柔軟に落としていけばよかったんですけどね。そういったことも含めて、今やりたい「美骨格・美姿勢」につながってくるんです。ただ単にケアをしたいとか肩こりにフォーカスすることもできましたし、

摂食障害などの方にフォーカスする方法もあったんですが私が行き着いた「美骨格・美姿勢」は全部が叶うんです。

美骨格になれば、慢性的な肩こりも治るし、「美骨格・美姿勢」になれば、悩んで猫背になっている人が気持ちが前向きになれるんです。


「内面的にも元気になれるんですね。」


そうです。かつ自分らしさとマッチするんです。

自分らしいものと美が重なって、作り込むものではなくて整えた時にその人らしい美しさが出てくるんです。


「もともと備わっているものが自然と出てくる感じですか?」


そうですね。若い時は流行りもあって、モデルさんや女優さんに憧れてそれを「美」と意識してしまいますが30代後半くらいからはもともとその人の持っている持ち味が大事になってきて、かつそれがその人の魅力なんだと思います。そこに負担が掛かっていなければ、自然と輝きを増してきて、私はそのお手伝いをしています。


「引き出すイメージですよね。」


そうなんです。そうやって自分らしい美を手に入れられれば、気持ちも変わってきます。姿勢が悪くなると内臓も圧迫されますし呼吸も浅くなるので、より気持ちも落ち込みやすくなってしまいます。

姿勢が整うと視野が広がりますし、気持ち的にも安定してくるんです。この変化への影響を大切にしています。


「気持ちも大事ですよね。」


そうなんです。例えば奥様が妊娠して出産、育児とずっと体に負担が掛かった状態だったとして、体を少し整えることによってお子さんや旦那さんに優しくなれたりすればその場の雰囲気も明るくなるんです。ほんのちょっとのことだけど、みんな我慢してしまうんですね。これくらいだったら大丈夫かなとそれを蓄積させて慢性化してしまうんです。

でもそうではなくて、整えてあげればやりたいことができる体になれるんです。

我慢しちゃダメですね。


「姿勢も大事ですが、気持ちの方も整えていますね。」


そうですね。でも私はカウンセラーの資格があるわけではないので、聞くくらいはできますけどそれを売りにしている訳ではないんですよね。実際、メンタルの先生にお願いして、引き出してもらったおかげで、摂食障害の症状も落ち着いてきたんです。

そこで分かったことは、私は自分らしさとは逆に自分を押し殺していたんです。

紐解いていくと、コンプレックスもあったり母を安心させたいという気持ちが強かったり、いろいろ心配もかけてきて、そのためにモデルにも挑戦しましたがダメになってしまって。だから摂食障害をはけ口にして、全部自分らしさを隠してしまったんですね。自分じゃない自分を演じることにエネルギーを注いでいたんです。しっかりしていなきゃいけないという気持ちが強くて、だから見た目も作らなきゃいけなくて、自分らしさなんて考えもしませんでした。

それが一番の大きな理由です。そこをメンタルコーチの方に引き出してもらうまでは分かりませんでした。


「自分以上に見せようと作り上げてしまったんですね。」


そうですね。どんどん深みにはまってしまった感じです。私は整体に出会って自分を大切にすること、自分をケアすることを覚えました。内側を整えてあげれば外側も整ってくる。外だけ整えると苦しくなってしまいますからね。「美骨格・美姿勢」になることで自分らしい美しさが勝手に出てくるんです。そこからアプローチしてお手伝いしていくんです。どの方も自分らしい美しさを手に入れる可能性は持っていますからね。モデルは一時的に作り上げているので、それを普段の生活に取り入れるとおかしなことになってしまいますから(笑)


「なるほど〜。自分らしさは自分らしい生き方につながってくるんですね。」


そうですね。それは今後私も追求していきたいですし、年齢を重ねていくということにも向き合って追求してお客様のお役に立てれればと思っています。私の仕事は整えることですが、お客様それぞれに生活があってどのようにして維持していくかを提案していきたいです。だから、お客様と一緒に作っていくものだと思っています。



見えてきた新しい方向性 自分らしさを愛すること


「独立して7年になろうとしていますが、独立しようと思ったきっかけはあったんですか?」


師匠のもとを卒業したのが大きなきっかけだったと思います。その時に同じ門下生で独立した子がいたので相談して技術的に一番乗っているタイミングだから始めるなら今でしょということになりました。また、開業する際にお知り合いのマンションの一室を借りられることになったのも一つです。トントントンと自然な流れで進みました。


「ことが動く時っていろいろな条件が揃いますよね。コロナになってからはいかがでしたか?」


前半はやっぱり売り上げは少し落ちましたね。新規の方は申し訳ないですけどお断りをしたりしながら、できる対策をしてお客様に判断を委ねた部分もあります。逆に励まされた部分もありましたね。感染対策をしながら続けて、今は戻りました。


「7年の中でピンチはありましたか?」


最初のころは手探りで、来ていただけるのであれば、いつでもやります!くらいの感じでやっていましたね。一日1人の時もありましたけど、続けていくなかで少しずつ少しずつお客様が増えていきました。いくらお客様が増えても自分を休める時がないと気持ちがついていかなくなってしまうので独立してから2年目以降は週二日は不定休ですが、お休みをいただくようにもしました。


「整体の内容以外に技術的に習得したことはありますか?」


ストレッチを東京で学びました。師匠の技術は骨格がメインなので、もう少し筋肉からアプローチをしていこうと思って取り入れました。歪みかたがひどい方だと、すぐに戻ってしまうので、筋肉を緩めるストレッチを入れてあげた方が良いんです。

今は、骨格アプローチ、ストレッチ、リラクゼーションマッサージ、顎の矯正を含めたフェイシャルを行っていてそれらを組み合わせながら3つのコースを用意しています。

ゆくゆくですが女性専門のお店にしていきたいと思っています。


「今後チャレンジしてみたいことはありますか?」


美に対して、自分も年齢を重ねるので自分の体と向きあってその過程でどうなるのか追求していきたいですね。あと、整体だけではない美の方法を模索していきたいです。

ご紹介いただいたベリーダンサーの麻衣さんとイベントを企画して開催しました。

コロナのこともあって佐鳴湖で青空イベントを4回やりました。

普段やらない、部分整体と麻衣さんのベリーダンスの要素を取り入れたストレッチをやりました。冬で寒いのでウォーキングイベントもやって歩きかた、重心位置をお伝えすることで普段の体の使い方が変わってくるということを、初の試みとして実施してみたんです。整えていないのに姿勢を正すというのは私の中でもチャレンジでしたね。

でも、お伝えすることによって参加者の方の重心が変わったんです。


「体の使い方を変えることで、痛みにくい体になるんですね。」


そうですね。施術だけではお伝えしきれない部分で、体の重心への意識が変化することにより良い状態を維持しやすくなります。いろいろな角度からアプローチをしていければ良いなと思っています。ちょっとしたアクションで良くなりますし、普段の生活の中で意識できるようなアドバイスをしていきたいですね。そうすると整体の効果も長持ちするんです。整体師の私が発信することで、耳を傾けてもらいやすいですし、その視点から発信していければと思います。


「整体師の肩書に収まっていない感じですね。入り口は整体だと思いますが、ゴールは人それぞれなんだなと感じました。整体のイメージが変わりますね。」


整体という言葉がお年寄りのイメージもありますが、今はそうではなくて私は年齢は関係ないと思っています。20代後半でもそれが30代40代の自分につながりますし、体のケアに年齢はないと思っています。早いうちから正しい知識と骨格を知っていれば、自然と綺麗になりますし、苦しい時間が少なくなります。自分の美に対して向き合っていく方法を早いうちから選べると、年齢を重ねた時に違いが出てくると思います。正解は1つではないですけどね。美容液を高くする前に、少しだけ血流を良くした方が効果がある場合もありますから。元々の体を良い状態にしておかないと、良い美容液を使っても美味しいものを食べても上手に吸収されないんですよね。だから自然で自分にとっての心地良さを求めて欲しいです。

美もいろいろな解釈があると思いますが、いろいろな経験をした私だからこそ伝えられることがありますし自分らしさを愛していこうと思えたから、整体師として「美」をご提案したいです。



なるほど、詠子さんだけのオリジナル新しいジャンルの整体師の今後が楽しみですね。

肩書の件は宿題にさせていただくとして(笑)今日はありがとうございました。



詠子さんの活動内容などはブログをご覧ください。


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