検索

心の声を大切に しなやかに生きるダンサースタイル

最終更新: 2020年12月10日

365belly 鈴木 麻衣 さん




夢や憧れを抱きながら

芽生えた人と同じことに対する「違和感」



「ご出身は浜松ですか。」


浜松です。生まれてからこのかた35年浜松です。

母が浜松で父が東京出身で、父から東京の面白い話も聞いていたので進学したら東京に出るぞって思っていて、大学は絶対東京の大学に行って、学校の先生になりたかったので教育学部に行くぞって。

歴史の先生になりたかったので史学部のある大学、なかなか史学部のある大学ってないんですよね。


「結構限られてきますよね?」


そうなんです。で、全落ちしまして(笑)

二浪目に入りまして全落ちしまして(笑笑)

そこで私の夢ファーストが破れました。


「歴史の先生になりたいと思ったきっかけは何だったんですか?」


そもそも古代史が好きでその中でもすごく中東史が好きで、漫画の影響だったと思いますけど、すごく興味が湧いて。

高校生で世界史を教えてくれる先生の教え方が良くて、それでまた興味が湧いたんです。

私もこういうふうに歴史を楽しく教えられる人になりたいって思ったのがきっかけですかね。


「世界史ってカタカナが多くて覚えることも多いですよね。」


みんなが苦手っていうものほど燃えるんです。

難しいものをわかりやすく教えられたら素敵ですよね。


「なるほど、高校の先生に出会う前に、将来なりたいものってありましたか?」


ありました。両親の意向で「夢はいくつでもいいよ」」って言ってもらっていて何になりたいの?って聞かれると、20個くらいは言っていたいと思います(笑)お花も育ててみたいし、イルカの調教師にもなりたいし、英語を話せる人にもなりたい、それを両親は黙って

聞いてくれていました。

中学の時に強く思っていたのが翻訳家さんで英語に携わる仕事をしてみたくて。

イルカの調教師も同時進行していましたけどね(笑)


「英語に関わるお仕事をしてみたい訳は何だったんですか?」


中学に入って英語を本格的に習い始めてALTの先生と触れ合う機会があって、他の国に行って自分の国の言葉を使っていることや海外に行って仕事をするってかっこいいなと思ったのがきっかけですね。

そこからの翻訳家さんですね。


「確かに海外の方が日本でお仕事する姿はカッコよく見えますし自信を持っている感じですよね」


強さみたいなものはありましたね。

私たちは同じ制服を着て同じルールの中で生きているのもその時から少し違和感を感じ始めていて、なんでこんな地味な洋服なのかなと。

同じ人間なのに髪の色も瞳の色も違うし、言葉も違うし、その特別感みたいなものがカッコよく映ったんですね。授業も面白かったので楽しみでした。

授業の中で洋楽を聞かせてくれて、ヒアリングの一環なんですけど、この曲は何を言っているんですかっていう内容だったんですけど洋楽も胸にくるものがあって、カッコいいなと。

先生にグループ名なんかを聞いて、いろいろ教えてもらってカセットにダビングして聞いてハマっていました。


「海外の文化圏への憧れの走りですね。制服などへの違和感を感じ始めたのもそのあたりからですか?」


そうですね。実は子供の時はふくよかな体型でだったんです(笑)

中学1年の時に軽いイジメがあって、自分が太っている自覚がなくて、運動もできたし友達もいましたし。中学に入ると、他の小学校からくる知らない子が多くて。

その中で心ない言葉をかけられて「私太っているんだ」って自覚するようになって。


「今からは、全然想像つかないですね!」


家族もその時は心配していたみたいで、この子はこのままどんどん大きくなって行ってしまうのかなと。

小学校は私服だったんですけれど、同じ服だから目立ってしまうのかなと思って。

その後、バレー部に入って中一の夏休みの練習がキツすぎて10キロ痩せたんですよ。

そうしたら2学期にいじめる人は誰もいなくなって。

みんなと同じフォルムになったから何も言われなくなったんだと思いました。

1学期はみんなと違うからいろいろ言われたけど2学期になったらみんなと同じフォルムになったから何も言われなくなっていじめられなくなったけど、どちらも腑に落ちなくて。いじめそのものがキツいという思い出はないんですけど、それよりも見た目で判断されることの方が嫌だなと。

制服とかも長く着なきゃいけない理由もわからなかったし、靴下にも規程があったり。

ちょっとした反抗期だから納得できない自分がいましたね。

セーラー服もあまり好きじゃなかったし。



「型にはめられる事が嫌だったんですね」


そうですね。その体験があったから小学生の時は個性を見ていてくれたんだなというのが分かりました。私がどんなに体型が大きくても、運動ができたり、みんなと仲良くできたりというのをみんなが認めてくれていたことに気がつきました。

だから中学に入って窮屈というかルールというものをより感じるようになりましたね。

小学校と違って中学校はあまり楽しくなかったかなぁ。


「なるほど、違和感を感じてもこういうものなんだと思えばそれがスタンダードになっていくと思いますが、それに違和感を覚えるということは感受性が高かったのではないかと思いますよ」


私が感じる違和感を共有する友達もいなくて、いないというか話さなくて、親にも言っていませんでしたね。だから私がイレギュラーなのかなと、みんなは楽しそうにしているのに

私の方が変なのかなと思っていたので出さないようにしていました。

そこに違和感を感じながらも、自分が異質なモノと思われたくないっていう心理もあったかもしれませんね。



自分の直感力を信じて

振り返ると大きかった

父の影響



「バレー部に所属していたということですが、バレーに対する憧れみたいなものはあったんですか?」


いえ、全く(笑)。私バスケが好きだったんですよ。小学校の時は小さな学校だったので一年を通していろいろな部活に所属するんですがバスケがとても楽しくて。

中学に入ってバスケ部の見学にいく途中にバレー部の先輩達がいて、反強制的に見学をさせられ、ちょっと体験させてもらったら楽しくて、その日のうちにバレー部に決めて3年間続けました。


「高校はどちらだったんですか?」


市立で女子校だったんです。Gilの恵さんが一つ上の先輩なんですけどその当時は全然知りませんでした。


「市立を選んだきっかけは?」


父の影響があって、大学に行きたいのも父は知っていたので市立より上の高校に行かないんだったら、三ヶ日でヨットをやりなさいと言ってきて(笑)おじいちゃんがなぜか水泳選手になれと言ってきたのでどうにか市立より上の高校に入って水から離れないとと思って必死に勉強しました。

塾とかも嫌いだったんですけど、中3の時に行かせてくださいってお願いして塾にも行きましたね。


「もしかしたらお父様の作戦だったのかもしれませんね。高校では何かスポーツはされていたんですか?」


薙刀をやっていました。マニアックなところを攻めました(笑)


「薙刀との出会いを教えてください?」


バレーを中学の時にやっていてチームプレーをやってきて、みんなでやる楽しさは味わってきたのですが自分の力を一回も試してないなと思って、個人種目で、高校でゼロから始めて

自分の力を試せるものは何かと思ったらシンクロと薙刀があって。

シンクロは水だ!と思って(笑)


「水ですよね(笑)?」


そうですね(笑)薙刀の前に弓道にも興味があって、型も何となく似ているし、シュッとしていてカッコいいなと思って。

市立の武道場って3階建てになっていて、2階が剣道場・薙刀場、3階が弓道場なんです。階段を登って3階に行こうと思ったら途中まで列になっていて、この中に入るのは難しいぞと思ったんですね。

それで降りていったら薙刀場があったので覗いてみたら、先輩につかまって(笑)2m18センチある薙刀を袴姿で振っているのもカッコよく見えて、初心者でも始められるし、防具も先輩のお下がりだし決まりだと思って(笑)中学の時と同じですよ。

弓道見に言って薙刀の先輩に捕まって入部(笑)


「面白いですね〜直感力が強いように感じます。チームプレーから自分の力を試したいから個人競技を選ぶことも個性的ですよね?」


父親がラグビーの選手で、

チーム戦で1位じゃなかったら意味がない、チームでトップになることはとても難しいことだからこそ意味があるんだ、個人での1位は鍛錬をつめば掴めるものだという話を教育論で聞いていたんです。バレーで団体でのトップはとても難しいことは実感していましたが、いやいや個人でのトップも難しいでしょと思って。だからその世界を覗いてみたかったんですね。


「お父様の影響が結構強いと思いますが、ちなみにお父様のご職業は何だったんですか?」


父はいろいろな仕事をしてきまして、私が中学高校の時は、重機をレンタルする会社に勤めていましたね。その前が服飾関係で東京でテキスタイルデザイナーをしていました。手先が器用なんですね。原宿の事務所に入ってその後独立してイタリア人の方とコンビを組んで活動していたみたいです。

繊維関係だったので浜松にもよく来ていて、母と出会ったみたいです。

今は検診車の運転手をしていますね。

ラグビーで大学へ進学したけど腰を痛めてしまって出る事になり日産に勤めてレーシングカーの整備をする勉強をして、海外のラリーレースなどについて行ったりしたらしいですけどそれに飽きて服飾関係に行ったらしいんですけれど、謎ですね(笑)


「なるほど〜。独立されたりするのを伺っていると手に職をつけるタイプの方だったんですかね?」


私から見ていて、やりたいことを我慢できる人ではなかったと思います。


「もしかしたら麻衣さんの中にもその血が入っているのかなと、感じましたが?」


それは否定できないですね(笑)

そういった父の姿をみて育ってきたのも影響があるのかなと思います。

父の話を聞くのが楽しくて、知らない世界のことや普段は感じられないようなことだったりとか刺激がありましたね。小さい時からいろいろな所に毎週のように連れていってくれて、楽しいことを実体験させてくれていたのも影響を受けているのかもしれませんね。

中学の時に憧れていた海外の事ももしかしたら父の影響があるかもしれませんね。


人生で初めての挫折

そこから生まれた新しい出会い

そして運命の出会い


「では、高校生の時から大学進学を目指していたときのお話を聞かせていただけますか?」


高校3年の秋まで部活をやっていたこともあって、目指している史学部のある大学は10月から1月までの勉強では受からないと思うということを親には伝えていました。

春の時点で秋まで部活をすることを親に伝えていたので「浪人すれば」くらいの感じでした。そこから「頑張る!」と言って2年頑張りましたがダメでした。


「なるほど。ではその2年は麻衣さんにとっては黒歴史ですか?」


だいぶ黒歴史です(笑)

そこでマックスの体重になりましたね。

家族も心配していました。

一浪目は予備校に通ったんですけど、志望校に落ちてしまって…受かると思っていたんですけどね…自暴自棄にもなりました。親からは二浪目の予備校の費用は出せないけど、もう一年頑張るか、就職するか、他の学校にするのか、好きにしていいよとは言ってくれたので、もう一回頑張らせてくださいとお願いして自宅浪人を選びましたが、誰にも会わないし、自己管理に失敗してストレスも溜まって、その時にマックスの体重になってしまいました。

何にも楽しくなかったですね。だから成人式にもでなかったし、太った自分を誰にも見られたくなかったので友達とも疎遠になったりもして。他の子は大学デビューして楽しそうなのに、この世の中でこんな辛いのは自分だけなんじゃないかって、孤独の辛さや寂しさを味わった真っ黒な時期ですね。

それまでは勉強でも頑張ったらそれなりの結果が出ていましたが、その時は頑張っても結果が出ない…初めての挫折を味わいましたね。


「浪人は精神的にキツいですよね。僕も経験したからすごく理解できます。その後は大学に進学されたんですか?」


滑り止めで受けた大学は受かったんですけど、何かそこの大学に行くのが嫌で…。両親に謝りました。

その後、父の知り合いの方が通信制の大学にあるから行ってみないかと声をかけてくれました。話を聞きにいったら「先生になれますよ」という説明があって、楽しそうな感じも受けたので、やってみることにしました。教科書が送られてきて、それに対してレポートを書いて送ってというのが意外に楽しくて。

実技系はスクーリングが全国であって、名古屋の会場に行ったら、同じような境遇の人がいたりとか、戦争の影響で学校に行けなくて、でも学びたい気持ちを持ち続けていて高卒の資格を取得してから通信に入ったというご年配の方もいて、すごく年の離れた友達ができたりとか、違う県の友達ができたりとか。普通に大学に進学していたら味わえないような貴重な経験をさせてもらったと思います。

その中で、2浪して志望校に合格できず、通信に入ってきた全く同じ境遇の同級生の女の子に出会ったんです!すぐに意気投合して、今でも親友です。

その子が言ってくれた言葉で「きっと地元に私たちがやることがある。ここまで望んで気持ちも高くやってきたけど、地元に何かやらなきゃいけないことがあるんだよ」と言ってくれて。その言葉は素直に入ってきたし、頑張れそうな気がしたんですね。それは大きなきっかけでしたね。

東京の大学に行っていたら流されていたかもしれませんね(笑)


「素敵な出会いでしたね。その後通信の大学はどれくらい通われたんですか?」


それがですね、20歳で入って22歳の時に実は中退しました(笑)

そこでベリーダンスが出てくるんです。


「中退のきっかけがベリーダンスだったんですか?」


その時はドトールで接客の仕事をしながら学校に通っていたのですが常連さんのオーダーを理解したり自分で工夫しているうちに接客業がすごく楽しくなったんですね。

接客業でもう少し自分のためになる仕事をしたいなぁと家族の前で何気なく言ったら、

父が「接客でレベルが高いのはホテルでしょ」と言って。ホテルでフロントの仕事をしてみようと思いました。いろいろ探していたら、静岡の親友が市役所前にあるホテルを進めてくれました。調べてみるとそのホテルの経営理念が

「人と自然に優しく、常にお客様のために進化するホテル」とあって

私が「進化」という言葉が好きなので、ここだと思い面接を受けて働くことになりました。すごく良い先輩に囲まれて働いていましたが、その中のチーフで働いていた方がベリーダンサーだったんです。私が入って半年後くらいに「ベリーダンス一本でやっていくことにしたからレッスンに来ない?」と誘われたんです。運動したかったのもあったので、行ってみたらハマりました!

新しい世界を見たような気持ちになったんですね。

しなやかな動きや柔軟性を体全部で表現するんですけど何よりも女性らしかったんですね。

Tシャツ短パンで参加したのは完全に間違いでしたけどね(笑)

先輩の姿もすごく輝いて見えたし、もともと中東が好きだったのもあって使用するアラブの曲もすごく楽しくて通うことになりました。それが21歳の時ですね。

そこからハマっていって結果、22歳で通信は中退することになりました。


「中退にいたるきっかけはあったんですか?」


週一でレッスンに通っていて、家でもめちゃめちゃ練習していたのですが、先生曰くすごいスピードで上達していると言ってくださって。それからショーに出る機会が増えていきました。そうすると練習の時間も増えていきますし、土日も無くなるし。そうなってきた時に「勉強はできないな」と思って、

人知れず学校は辞めました。

しばらくは両親には内緒にしておいたんですけどね(笑)


「ご両親の反応はどうだったんですか?」


その時はベリーダンスの比率が大きくなっているのもわかっていたし、ショーも見にきていたので、「あぁ〜またか」みたいな感じでした。

「歴史の先生になるのは今じゃない」とちょっと屁理屈ぽくいったら、

理解してくれました。


「寛大なご両親ですね?」


そうですね。もともとやりたいことを我慢するタイプの親ではなかったので理解してくれたんだと思います。心配もかけたと思いますが、「やりたいことが変わったんだよね」と温かい目で見守ってくれたんだと思いますね。


「ショーにでるようになっていったわけですが、ホテルの方は継続されていたのですか?」


継続していました。

しばらくして先輩の元でインストラクターとして一コマ・二コマもらってレッスンをしたりするようになりました。その後自分でレッスンをするために、スポーツジムにオーディションを受けにいったりもしてレッスンを持つようになりました。その時レッスンが週6になったんですね。ダブルワーカーとして認めてもらっていて、みんなも応援してくれていました。でもだいぶキツいなと思って、一度ホテルをやめさせていただいたんです。

それから一年、インストラクター一本でやっていました。レッスン自体は私が行うんですが、先生(先輩)の派遣としていく、契約は先生とスポーツジムなので、取り分が半分以下なんですね。しかもダンサーとしての月謝も払っていたので、それだけでは生きていけないと思ってカフェとかでバイトをしたりしながら週6でレッスンする生活をしていましたね。ダンスで生きていこうと思いましたが、少し焦りましたね。

その時にホテルの支配人から連絡があって人が足りないから戻ってきませんかというお話をいただいて、ホテルに戻りました。



個が輝く

ベリーダンスの奥深いルーツ


「そんな境遇でも続けていた、麻衣さんが思うベリーダンスの魅力を教えてください?」


ベリーを続けていく中で嬉しいことはたくさんありましたが、一番は私らしさが思い切り表現できた場ということですね。「心身共にあなたらしい美しさを」というコンセプトでレッスンを展開しています。ベリーダンスをすることによって体にはもちろん良いんですど、日常から離れられるんですよね。

普段はサバサバしてガサツな面もあるけど、踊る時はダンサーに変身できるんですね。主婦の方でもお仕事頑張っている方でもベリーダンスをすることによって一気に「あなた」になれるんです。日常の肩書きなどはなく、ダンサーとしてここにいる自分になれるというのが、私が思うベリーダンスの一番の魅力だと思います。

目の前でどんどん変わっていく生徒さんを見たし、私自身が高校の同級生にあったときに「どうした?」と言われるくらい変わったんですね。その人らしい美しさになれるんです。


「個が輝くわけですね?」


そうですね。生活の中で個は埋もれるじゃないですか。家族のために生きたり、お仕事だったりとかそれはそれで大事なことですけれども、失われそうな個を拾い上げてくれる、表現していいんだよと背中を押してくれるのがダンスでした。


「最初の方に伺ったお話と繋がってきますね。自分を抑えることが日本人としての美徳なのかもしれませんが個は埋没してしまいますよね。その中で自分を表現する場所が麻衣さんにとってはベリーダンスだったんですね。」


そうですね。言い方が合っているかどうかわからないですけど、子供に返るみたいな感じですね。無邪気になれるんですね。

生徒さんが「大人になってこんなに友達が増えるとは思わなかった」って言ってくれるんですけど、どこで何をしている人か知らないけど、踊りを一緒に踊って、同じ時間を共有するなかでかけがえのない友達になってるんですね。それを見ると泣きそうになるくらい嬉しいですね。ダンスはそういうことができるんだなということが分かって、他にもあるとは思いますが、女性に特化しているのがベリーダンスなんだなと。

始めることの決定打は憧れだったんですけど、仕事にしようと思ったのは、自分らしさを一番出せるのがベリーかなと。他のダンスも習ったことはありましたが、型が決まっていることに自由さを感じなかったのもあったけどベリーで感じた感動とか喜びがなかったんですね。


「ベリーダンスには型は無いんですか?」


一応あります。

中東とかエジプトで踊られているオリエンタルという種類には型があります。今私が教えているフュージョンというジャンルはアメリカで生まれたものです。ジャズとかポップスとかロックの融合で、動きはベリーダンスの動きですけど、音楽は自由だし振り付けもオリジナル感が出せるんです。

ベリーダンス自体も造語で、ベリーって「お腹」っていう意味なんですけど、アメリカでできた名前なんです。もともとはオリエンタルダンスと言われていて、一応世界最古の踊りと言われていて、中東の儀式で母体崇拝や子孫繁栄女性を敬うために踊られていた踊りなんです。それがヨーロッパに渡るんですけど、アートとして輸入してそこでまた発展していったんです。ヨーロッパからアメリカに渡っていろいろな要素を入れて、型が決まったものが生まれたりとか、フュージョンスタイルが生まれたりとか、アメリカに渡った時に初めて「ベリーダンス」という名前がついたんです。

私が一番感動したのは太古の昔に女性を敬うため、女性を表現するための踊りが文化として生まれたことなんです。


「今お話しを伺っているとさすが歴史好きだなと感心しました(笑)女性を敬うための踊りが起源というのを聞いて今までのお話しとつながりました。そういったお話しを聞くと、ベリーダンスの見方が変わりますし、進化してきているんですね。」


時代とその土地にも順応しているというか、その土地土地で融合していっているような気がします。最初は、もっとシンプルだったと思うし衣装も煌びやかなものではなかったと思いますが、伝わった先でベースがありながらもその土地土地で発展させていってるのも魅力だなと思います。

ベリーダンスの大会にでても、オリエンタル部門やフュージョン部門とかいろいろな部門があるんですよ。私も最初はオリエンタルだったんですけど、先生がフュージョンに移行したのでそのまま今に至っていますね。レッスンもフュージョンで行っています。


「女性らしいという部分に魅力を感じていいなと思ったものを、紐解いていくと女性を敬うためのものだったというのはすごいことだと思います」


だからこそ惹かれたのかもしれません。

潜在的に私が求めていたのかもしれませんね。


いよいよ独立

新しい可能性と表現を求めて


「ビジネスについてお伺いしたいと思いますが、独立しようと思った時のことを教えてください。」


7年前くらいになるんですけど、フランス人のイラン・リビエラという男性のダンサーがいて、その方の踊りが好きだったんです。2013年の10月にイランさんが東京でワークショップを開催するというのを聞いて「絶対行く」と思ってチケットを取って参加しました。

2days参加しましたが、すごく自由だったんです。いきなり歩き初めて、他の人とぶつからないように歩こうと、人を感じることから始めようからスタートして技術ではなくて感覚の部分ですよね。二日間、イランさんの姿やワークショップに参加して私が今までやってきたダンスは何だったんだろうかと相当ショックを受けました。

最後にイランさんが「みんなを見ていて思うけど、ダンスはもっと自由でいいんだよ。僕は日常が全部ダンスなんだ。だからもっと自分を解き放っていいんだよ」と言ってくれて

そのまま帰って次の日に先生に辞めることを告げました。

自由でいいんだよって言われた瞬間に、これは私の人生のテーマじゃんと思って。先生のレッスンに不満はなかったのですが、今この場所では私がやりたいダンスはできない、自分で考えて自分で表現するのは今なのかもしれないと思って1人立ちを決意しました。

開眼した瞬間ですね。


「卒業したあとはすぐにお教室を持たれたんですか?」


すぐにではなくて、教室を持つとどこにも行けなくなってしまと思って、一年かけて海外に行きまくりました(笑)

一年間全く踊ってなかったですね(笑)

自由の翼が大きすぎましたね。


「自分を解き放つ時間と場所は必要ですよね。いろいろお話しを伺っていて感受性が強いのもありますし、自分との対話ができているなと感じました。違和感の中にこそ大事な自分の声が入っているんですよね。そこに対して素直に生きていらっしゃるんだと思いますよ。それができる人はなかなかいないと思いますよ。

自由の翼を満喫して2015年から活動開始されたわけですが、場所はどこか借りていたのですか?」


そうですね。その時私は30歳で、30歳になったら実家を出たいと思っていたので、できたらスタジオ兼自宅がいいなと思っていて、物件を探していたのですが、友達から「面白い不動産屋さんがあるよ」とそのオーナーさんを紹介されてお会いして、お話しさせていただいたところ、そのオーナーさんも共感してくれました。でも、実際に生活をしていて音を流して住むとなると大家さんがなかなかOKしてくれないであろうと。候補を見つけてきてくれたこともありましたが、予算オーバーだったり、しかもその時は生徒さん0人で見込みもたたないので途方に暮れました。どうしうようかとそのオーナーさんと一緒に悩んでいたのですが、「ここでやれば」と提案をしていただいたのが、オーナーさんが経営するシェアオフィスだったんです。鏡は入れられないけど、スクリーンに映像を投影できるよと言われて、「そんなスタジオどこにもない!!」と入居兼スタジオが決まりました(笑)

そこで活動を開始したのですが、生徒さんが4、5人くらになったときに少し狭さを感じて、他のシャアオフィスの方もいらっしゃるので出ることにしました。

それからは下池川町にあるスタジオをお借りすることになって、今でも使わせていただいています。


ダンスで生きていく

時代に流れに合わせたレッスン方法


「今は生徒さんは何人くらいですか?」


今ベリーダンスの生徒さんは13人です。


「ベリーダンス以外にもレッスンはされているのですか?」


このコロナになってからアクアレッスンを始めました。

ヨガストレッチのレッスンもやっています。


「じゃあ3本立てですね。アクアレッスンはどちらのプールで開催しているのですか?」


可美のプールです。これもベリーつながりなんですけど私の仲間のダンサーさんのレッスンを受けている方がもともとアクアのインストラクターをしていた方で、プール改築工事もあってその間はレッスンはなくて工事終了後レッスンを始めるにあたって新しくインストラクターさんを探しているのでやってみないかと声をかけてもらったんです。

今年の3月にホテルを辞める予定で、いろいろなジムのオーディションを受ける予定だったのですがコロナが広まり出して、ジムのオーディションも全部なくなってしまって。話を聞いているうちにアクアに興味出てきてアクアインストラクターを受けることにしました。


「アクアの生徒さんはどれくらいなんですか?」


ランダムで飛び入り参加もできるんです。それでも15人くらいですね。


「アクアの動きはご指導を受けたんですか?」


いえ、私のオリジナルです。3月にプールに通いまくってどういう動きが、どんな感じなのか研究をしてました。私のコンセプトとしてはベリーの動きを取り入れたレッスンをしたくて、そこでもベリーの楽しさを感じて欲しいなと。どうやって伝えたら、水の中の負荷を利用して理解してもらえるかなぁと考えて、それは今チャレンジ継続中です。


「アクアビクスのベリーバージョンとうことですね。ストレッチはどちらでレッスンされているんですか?」


オンラインですね。今日の夜もレッスンがありますが、古巣のホテルの会議室を借りて行うんですよ。オンラインストレッチも参加人数はランダムで、月曜日から土曜日まで毎朝6時半から7時のオンラインレッスンをやっていますが多くて5人ですね。


「現在、ベリー、アクア、ストレッチと展開されているのですが、収入は生徒さんからのお月謝ですか?」


そうですね。アクアは歩合制ですが、

ベリーとストレッチはお月謝をいただいています。


「3月にホテルを辞められたわけですが、以前から決めていたのですか?」


一年前に退職することは伝えてありました。

節目の年齢でダンスで生きていこうと決めていたので一年前に伝えました。でもまさかこんなことになるなんて思ってなかったですね。


「ホテルでのお仕事を延長しようという気持ちはなかったのですか?」


なかったですね。この状況でスタートしたらこれ以上悪くなることはないと思っていて、むしろここでスタートしたことは後々ネタになるかなと(笑)

だけど、きっと同じように自営でやっている人達はいるわけだから、先輩等に教えをいただいて聞いてやっていけば大丈夫かなと思いました。


「ホテルに残っていたら、それはそれで大変でしたよね?」


そうなんです。ホテルにはいろいろな方が来るので、感染リスクを考えるとレッスンを止めざるをえない状況になっていたと思います。そういう意味でもベストタイミングだったと思います。いろいろ作戦を立てる時間もありましたし、いろいろな人の声を聞く時間もありました。

オンラインレッスンもやる予定はなかったのですが、みんなが在宅ワークで生活リズムが崩れているというのを知って最初は毎朝私がやっているストレッチをみんなでできたらいいよねってサークル感覚で始めたんです。そうしたら思いのほか好評で4月から今にいたっています。今オンラインも大事な収入源の一つになっているので、コロナがなかったらそれはやっていなかったです。オンラインもアクアに次ぐ新しいチャレンジですね。

最初アクアは3月からの予定だったんですけど、コロナの影響で6月から開始しました。当初はお客様誰もいなくて、そうすると歩合制なのでフィーも出なくて、ちょっと早まったかなぁと思ったり(笑)


「コロナになってからは、ベリーのレッスンはどうされていたのですか?」


オンラインに切り替えました。生徒さんたちに相談して医療従事者の方もいらっしゃるので通いは抵抗があるし、みんなにうつしてしまったら怖いという意見が出てきてじゃあオンラインでやってみようということになって4月の後半から始めました。今では選べるようにしていて、スタジオレッスンは火曜日と水曜日にして、オンラインは金曜日の夜に設定しています。

これからはコロナと生きていかなきゃいけない世の中になっていくので途中でシステムを変えると私も大変ですし生徒さんたちも混乱してしまうので、今後はスタジオとオンラインを同時進行でやって行くことにしました。仕事で忙しいから移動できない生徒さんも、今日はオンラインでってみんな上手に使い分けてくれていますね。


「コロナになってからは経営はいかがでしたか?」


そんなに影響はなかったですね。オンラインも始めましたがきちんと価格を設定したので

思ったよりは大丈夫でしたね。それよりもみんなに会えない方が辛かったですし、オンラインだと話をしていても微妙なニュアンスが伝わりづらくてストレスになったこともありました。逆に会って話すことがやっぱり一番伝わることも確認できました。

冗談とかも通じますしね(笑)

私の職業は技術を伝えることなので、言葉が足りないとやっぱり伝わらなくて。どうしても「ガーッダッ」とか擬音になってしまうことがあって、目の前に生徒さんがいればそれで伝わるんですけどオンラインだと難しいですね。


「withコロナと言われて久しいですが、現時点で今後やってみたいことはありますか?」


ショーは開催したいですね。できれば無観客ではなくてお客様を入れて。

私たちがショーをやる意義というのは、踊ってくださっている方を支えてくれる方々がいらっしゃるじゃないですか。旦那さんだったり家族だったり、彼女が一時間踊りに行くのを「いってらっしゃい」と送りだしてくれる方たちに、感謝を伝える場だと思うので、これはコロナの中でも継続していきたいと強く思います。今までは年に一回は必ずショーを開催していました。ショーでご家族の方に会えたり、お話できることも楽しみですね。

空間の中の空気感も含めてショーですね。そういうことも含めると、やっぱり拠点のスタジオが欲しいんですよね。できたら外部の先生をよんでヨガの枠とかをつくったり妹が服飾系の物販をやりたいと思って今動いているので、ちょっとしたショップスペースがあってカフェスペースもあるマイスタジオをつくることが究極の夢なんです(笑)


「なるほど。拠点の場所があるとそれがメディアになっていきますからね。2015年から活動されてきて、今年はコロナもありましたが、ご苦労された事を教えてください?」


そうですね、集客の部分はいつも課題ですね。

ベリーダンスというものがなくても生きていけるんですね。生活の優先順位では下の方になってしまいますよね。

でも私はベリーに救われた人間なので、続けて欲しいなという想いをみんなと共有することに少し苦労はしているかなと。女性なので旦那さんの転勤や妊娠されたりとか退会する方もいらっしゃいますが、みんな「落ち着いたら帰ってきます」って嬉しいことにそういう風に言ってくれるんですよ。その一言に救われるというか、帰ってこなくてもここで過ごした時間が楽しかった証拠かなと思って、ありがたいですね。

今の集客はインスタがメインですね。アメブロも始めましたがまだ運用方法は勉強中です。いろいろこれから進化していく感じですね。


等身大の自分で生きる

ベリーが求められるものになれるよう

これからも踊り続ける


「最後に今までの経験の中で大切だと思ったことを教えてください。」


私がこれをやっていてよかったなと思うのは、恥ずかしいことは何もないから、人に聞きまくるということですね。自営の先輩が周りにたくさんいますから、悩みや困ったことを全部アウトプットしました。そうすると、その件だったらあの人がいいかもって紹介してくださったりみなさん助言をくれますし、スバっと言ってくれる時もあります。

本で勉強したとかではなくて、人に会って聞いてその中で自分で情報を選んで今にいたるので「恥をしのんで全部アウトプット」が私にとっては良かったですね。


「中学生時のお話では、違和感があっても言い出せなかったことを聞いていたので、全部アウトプットのお話には驚きました!!」


今この仕事について、これで生きていくと決めたときに初めて実感したことです。思ったことを人に話したり聞いたりすることの重要さに気がついたんですね。原寸大の私で勝負していけばいいかなと思います。


「なるほど。スタジオを持つ以外でやってみたいことはありますか。」


以前に福祉施設や障害をもったお子さんたちの前で踊ることがあったのですが、そういった活動を増やしていきたいですね。

私自身が初めての経験だったんですが、みなさんすごく喜んでくれて嬉しかったですね。あとその時初めて邦楽で踊ったんですが、選曲も良くてみなさん喜んでくれました。

もともと技術を売る商売なのでボランティアには抵抗があったのですが、やった後の満足感がすごく大きかったので、これはライフワークにしたいと思いましたね。そうしたら他の施設からもやって欲しいというリクエストをいただいて、需要はあるんだなということが分かりました。

コロナで流れてしまいましたが、仕事と並行しながらボランティアは進めていきたいですし、そういった活動を認めてもらえるようなダンサーになることが目標ですね。私としてはベリーの魅力をより多くの人に知ってもらいたいので、大切な活動になると思います。

今のベリーの一般的な印象は、自己満足の世界のイメージだと思いますが舞台芸術、自己表現の一つのジャンルとして、見てみたいと求められるものになっていって欲しいので、そのために私は踊っていきたいなと思います。


「過去最長のインタビュー時間でした(笑)今日は貴重なお話をありがとうございました。」




麻衣さんの活動内容、レッスン情報などはSNSをご覧ください。


インスタグラムアカウント

mai365belly


116回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示
80_logo.jpg

[サイト運営・管理

​株式会社エイティ・プロ

〒432-8023静岡県浜松市中区鴨江2-55-10

TEL.053-456-4172

© 2020 Eighty-pro Co Ltd., All Rights Reserved.